目の前で友人や知ってる人が転んだら「大丈夫?」って声をかけるでしょう。
目の前で転んだのが他人なら見て見ぬふりをしてしまうのは、なんで。
先日、電車の中で普通席の前に視覚に障がいのある方が立っていた。
目の前の若者は寝てるふり、その隣の人もスマホを見ている。
白杖が目の前の人の足に当たってるのに…
あなたの目の前にいる人が、あなたの愛する人なら、真っ先に席をゆずるでしょうに。
誰かの立場になってみないと見えないものがある。
大きな荷物を持って移動する時、はたして車椅子の方はどうやってこの階段をのぼって降りるのか、そういう景色が大都会でもある。
ケガや病気になった時、ああそうだったかと気づくことがある。
自分の身近にあることを見ることは簡単でも、範囲外のものまで感じとることは簡単ではない。
でも、その想像の壁を越えるにはやっぱり動くしかないと感じる。
見ることも 聞くことも
できるのならば
できることを
今日も明日もなんて言っていられるのはあたりまえではないのだから。
2010年からの一年間は「歌いたいこと」だけ歌っていた。
歌うことができるのは
やりたいことができるのは
やるべきことができるのは
日常があることが前提。
2011年から変わった
歌なんて必要ない…
から
「本当に歌いたいこと」になっていった。
足を運んで誰かにむけて曲をかくことがふえた。
出会いたい人に出会えている今までがあるのはしあわせなこと。
あの日からの出会った人も景色も心にあること。
わたしたちにとっても 向き合う日。
そんな今日在ること、明日歌えることに感謝して。